なんと初女さんは、人も折りに触れ透明になって成長してゆかなければならない、というのだ。
なんだそれは〜???
安易にクリオネみたいな、透明な姿を思い浮かべてしまった私はびっくらこいた。
聞けば、野菜が透明になって私達にいのちを捧げてくれるように、私たちも透明になって人を受け入れることが、必要だということらしい。
とってつけたようだけど、ちょうど私も最近、自分の目指すところは、色で例えるなら透明であると感じていて、透明を極めて最終的には光りを目指そう!なんて思っていたところだったから、なんだかぐっときた。
ここで少し説明をすると、私の目指す透明とは、いろんな色を重ねて重ねて辿りつく贅沢な色で、つまり透明を目指して、いろんな経験を塗り重ねてゆこうというもの。
そして最終的には、その透明を突き詰めていくと光るんじゃないだろうかと素人ながらに思ったのだ。イメージは、北極星のような道しるべだ。
はて。
こうやって書いてみると、透明という色の表すところは同じでも、私の場合は自分本位の透明じゃないかしらと気づき、なんだか恥ずかしくなった。
1921年生まれの初女さんの心は、海のように深いのだ。きっと自分自身をまるごと受け入れて、人のこともあるがままに受け入れて。
私もいつか、初女さんのようになれるだろうか。
食材のいのちと真剣に向い合い、料理をすること、おいしく頂くこと、つまり食べることを大切にすることが、色々なことを私に教えてくれるのだろうという予感が今、ビンビンとしている。生きるこは食べることで、食べることは自然界のいのちを頂くこと。ほんとうにもう、大切にしてゆきたいし、大切にしてゆこうと、強く強く心に想って青森を跡にした。
また会いましょうと、おむすびを優しくむすばれた、そのたなごころでそっと私の手を包み込んで下さった初女さん。
再会の暁には、ちょっとでも成長して、透明な心に近づいていられますように。
